ていらのです。
一つ前の記事でパチンコに依存気味だった頃のお話をしました。
自分語りなので筆がノッてしまい、とんでもない長さになってしまったのでパチンコの話だけにしましたが、本当はこの一年、ゲーム依存気味だったのと似てるなと思ったからなのです。
というわけでで今日はゲーム編。
基本的に自分語りなのは変わりません。
僕が依存気味な気質だということは、この記事でも示した通り。
思うのですが、長期的に考えればどう考えても今やっている愚行を止めるべきなのに、やってしまう状況は誰にでもおこりうるのではないかと。
別に自分を正当化しようとしているのではありません。
ただ、誰しもそういった事態に陥る危険があるんじゃないか、陥っても抜け出せたよ、というお話です。
狂ったようにゲームをやったきっかけ
学生時代、ゲームは好きでした。
ロマサガ2(1993年)
FF6(1994年)
クロノ・トリガー(1995年)
ドラクエ6(1995年)
バハムートラグーン(1996年)
などのゲームが登場しました。
高校生になると、
サクラ大戦(1996年)
ToHeart(1999年)
野々村病……
きゃんきゃんバ……
など、どんどん助平になっていきました。
上京してからもゲームはやってましたが、生活が破綻するほどプレイすることはありませんでした。スパロボシリーズが好きだったので、気になるメカが登場する作品が出たら遊ぶ程度でした。
それまでは適度な距離感で、趣味としてゲームと付き合ってこれたのですが、ある作品と出会うことで状況は一変します。
その作品とは……そう、Splatoon(スプラトゥーン)です。
出会いは突然に
その頃の僕はYou Tubeを見るのが楽しくて仕方ない時期で、ちょうどその頃YouTuberという言葉が定着し始めた時期だったと思います。
まだカメラに興味があった時期でした。実機のレビューをYou Tubeで探すとカズさんや瀬戸弘司さんの動画が出てくるので、楽しく見ていたのを覚えています。
そんなとき、瀬戸さんがゲームチャンネルでやっていたのがスプラトゥーンでした。
なんだこのゲーム……めっちゃ面白そう、やってみたい。
見た瞬間にそう思ったのですが、当時の僕は今のようにゲーム機をポンと買ってしまうような性格ではないうえ、WiiUという、どう考えてもあのコントローラーは失敗だろと思っていたハードだったため、二の足を踏んでいました。
そういえば、知人の兄がマリカーをやるためにWiiUを買っていたのを思い出し、スプラトゥーンやってる? どう? やっぱめっちゃ楽しい? と連絡をしてみたのです。
僕としては、もしプレイしているならスプラトゥーンの感想を聞きたかっただけなのに、帰ってきた返事は信じられないものでした。
スプラトゥーンとかいうゲームは知らんけど、WiiUは長いこと使ってないから、本体を貸してあげようか?
渡りに船にもほどがある
僕はアヘ顔で「んほおぉ!」と叫びながら狂喜乱舞しました(誇張)。
渡りに船どころか、目的地に瞬間移動できてしまったのです。
借り受けたWiiUはHDMIケーブルが劣化してねばねばしており、確かに長いこと使っていないようでした。ただ、どんなにHDMIケーブルがねちょねちょしていようとも、ゲームをプレイするにはなんの問題もありません。
早速、スプラトゥーンのソフトを買ってプレイ!
その日のことは忘れもしません。
土曜の昼からやり始めました。
楽しい。
ジャイロ操作に全く慣れない。でも楽しい。
徐々にうまくなっていく。
ガチマッチでもランクが上がっていく。
明けて日曜の昼までぶっ通しでやり続けたところで、体の異常に気が付きました。
そのときの季節は初夏。
エアコンもつけず、汗だくになりながら食事もとらずにやり続けた影響か。
急に寒くなってきました。
まだエアコンはつけてません。
なのに寒い。
奥歯をガチガチ言わせるほどに。
あ、これはヤバいと思って熱を測ると39度。
右に左に斜めになりながら近所のコンビニに2リットルのスポーツドリンクを買いに行き、水分補給しながら眠りにつきました。
月曜未明に目が覚めました。悪寒はありません。
熱を測ると平熱に戻っていました。
ところで今日は仕事だ。
よし、出勤までスプラトゥーンやるか!
第二波
その後も暇さえあればスプラトゥーンな日々です。
スプラトゥーンはガチマッチというランク分けされたバトルモードがあるのですが、どうしてもS+にあがれない。
なんとか上達すべく、上手な人の攻略動画を見て勉強を始めます。
僕はプロゲーマーで芸人でもある裏切りマンキーコングさんのチャンネルをよく見ていたのですが、そのチャンネルでまた別のゲームに出会ってしまいます。
Dead by Daylight(デッドバイデイライト)です。
DBDはスプラトゥーンほど入りやすいゲームではなかったため、さすがに具合が悪くなるほどやり続けることはありませんでしたが、やはり楽しい。
画面酔いになり、吐きそうになりながら、生存者をやっては即死し、殺人鬼をやっては永遠に追いつけず煽られまくる。
それでも楽しかった。
余談ですが、スプラトゥーンが3作目を発表した中、未だにアプデを続けてゲームとして成り立っているDBDは、pretty good job so farなのかもしれません。
ただ、さすがにスプラトゥーンもDBDもやっていては、生活が崩壊します。
パチンコにのめり込んでいたときのように、お金がどんどん減っていくなんてことにはなりませんでしたが、時間は失っていきます。時間だけなのでマシといえばマシかもしれませんが、当時の生活サイクルは乱れまクリスティでした。
対策
さすがにこのままではマズいと思ったので、対策をとりました。
スプラトゥーンのゲームディスクを会社に持っていって、デスクに入れて置いて帰ることにしました。
DBDはPCにインストールしてあるので、ゲームパッドを会社のデスクに置いて帰ることで対策しました。
平日は置いて帰って、土日は遊んでいいことにしましたが、そうすると休日をゲームで潰すようになったので、近所のブックオフにスプラトゥーンを売りました。
そして、生活が落ち着いてきた頃合いで買い戻す、という、ちょっとよくわからないことをしていました。
売る→買い戻すのループを5回くらいやったと思います。
おそらく店員さんも覚えていてこいつ、何やってんだろ……と気味悪がったと思います。
ポケモントレーナーになりかける
そんな謎行動を繰り返しながらも、徐々にスプラトゥーンやDBDから離れていくことに成功しましたがそんなときに出てしまいました。
ポケモンGOです。
リリース直後の夜。
石神井川に沿って歩いてみると、川沿いにスマホをスワイプしている怪しい人影を多数見かけたのを今でも覚えています。
今はどうかわかりませんが、当時は○○公園はあのポケモンの巣だ!みたいな情報がとびかっていて、朝7時に代々木公園に行ってみたり、早朝から木場公園に行って、そこから徒歩で猿江恩賜公園、錦糸公園を渡り歩いてポケモンを乱獲していました。
会社帰りにわざわざ都心まで出向いて、ワンリキーを捕まえにもいきました。
ワンリキーが出現するたびに人が大移動する様は壮観でした。
もうほとんどポケモントレーナーでしたが、その生活は急に終わりを告げます。
著作の書籍化が決まったのでした。
【気づき】さすがにゲームはやらなくなる……が
夢にまで見たデビューです。ゲームをしている場合ではありません。
しかし、なんとか書籍が刊行され、そして早々に打ち切りが告知され、では次の企画を……となった頃、またゲームをやりだしました。
そしてこの一年もそうだったのですが、やりたい、やるべきことは明確なのに、その目標が遠く感じられる、少なくとも、今手が届くところにないときに、僕は逃げ出します。
パチンコに、そしてゲームに。
意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する。
そしてそれは必然的に当の人間には意識されない。
と言ったのはマルクスだったかエンゲルスだったか忘れましたが、本当にそのとおりだと思いました。
ここ最近、企業に応募したり、応募するあたって書類や課題をこなすことで、生活にリズムが生まれ、ゲームからも離れつつあります。
まあ、応募した企業からお祈りされてばかりですが。
確かに企業に応募しようと決めて行動したのは僕自身ではありますが、この一連の流れのようなものにマジ感謝しています。
僕は特別幸せだとも思わないし、不幸だとも思っていませんが、本当に運がいいと思っています。
やべー、ゲームがやめらんねえよ……と思っていたところでこの流れ。
もう20代のときのような体力は無いでしょうが、今ならまだ多少の無理がきくと思っているので、ここで最後のもう一踏ん張りをしてみようと思います。
どうにもならないかもしれませんが、それはそれで(笑)
まとめ
やはり仕事に就いていようがいまいが、お金があろうがなかろうが、ある程度精神が安定していなければ良い結果には結びつきませんね。(体感)
バチンコもゲームも、やらなければいけないことがあるのにやっちゃうときは、必ず目を背けたい何かを心の奥底に抱えていたように思います。
本当に求めているものは遠く遠く、辿りつけるかもわからない困難な道のりの果てにあるので、目の前にある、早く結果が出て、かつ成長(のようなもの)が感じられるモノに手を出してします。
それは僕にとってパチンコやゲームでした。
意志でなんとかできる人もいるのでしょうが、おそらくそれは少数派……なはず(笑)
多くの人は勉強が、ダイエットが、続かずに困っているはずです。
意志でどうにかなるなら、ライザップが流行るはずがない。
悩みはなんですか?
あなたが本当に求めているものはなんですか?
いつか描いた青写真に向かう一歩を、今日もまた踏み出せなかったとしても、自分を責めてはいけない。
自分を責めるのも、ある意味逃げです。
きっと、あなたが意志薄弱だからではない。
身の回りに、あなたの行動をあらぬ方向に仕向けるモノがあるなら、自分を責める前になんとかそれを破壊しましょう。
自己否定の海で溺れ死ぬ前に。
↑これが言いたかっただけ。どこで聞いたかは忘れた(笑)
みんな、がんばって。