(シャワーは浴びたし、顔も洗ったが、シャンプーするの忘れた……)
「最終出社日も普段通りに」という目論見は、のっけからつまづいた。
髪を乾かしているとき、明らかにシャンプー後の手触りではないことに気がついた。
これからシャワーを浴びなおしている時間はない。
「いつも通り」が仇となった。
とは言うものの「いつも通り」などと意識してしまっている時点で、既にいつも通りではありえない。
そんなことは自分でもわかっていた。
派遣、契約社員、正社員と、六年間勤めた会社を去る日の動揺は、その程度だった。
◆
退職にあたっての部署内への挨拶は、前日の朝礼で済ませていた。
決して良好とは言えない部署内の人間関係をさらに悪化させることのないようにだろう。
「古株」にあたる私が夜逃げのようにひっそりと退職することは叶わなかった。
上司は昨年異動してきた人で、私が見てきた中では一番「この部署をなんとかしよう」という気概が感じられる人だったし、特に恨みはなかった。
だから、「部署全体の朝礼で挨拶」という、普段なら絶対にやらないようなことを引き受けた。
私の退職日も、無理に引き伸ばすことはせず、少しでも早くリリースできるように、部署内で調整してくれていたのも知っていたので、その恩返しだ。
◆
私の部署内でのキャラは「面倒臭い奴」だ。
上司や役職付きの社員が内々に決めていたであろう決め事に対しても、
「なんでですか?」「それって必要ですか?」「その理由は?」
と食い下がるので、マネジメントする側はさぞ邪魔であっただろう。
当然、私を快く思わない社員もいた。
表立って攻撃されたことはない(私が気づかなかっただけの可能性もあるが)。
昼食に一緒にでかけたり、雑談することがないだけだ。
あとはお菓子が配布されているとき、私にだけ配布されないくらいか。
私は別に嫌がらせのつもりで上司に楯突いていたわけではない。
どう考えても合理性の欠く決め事ばかりが上から降ってくるので、疑問に思ったことを確認しているだけなのだ。
私だけがそうおかしいと思っているだけならいいのだが、何も言わない大勢の社員も、結局裏側で愚痴を言っているのが現状だった。
「みんなのため」と、格好つけたかったわけではない。そんな部署ではいい仕事なんてできないと思ったし、何より自分が仕事をしていて楽しくなかったから、「どうしてそんなことをするのか?」と確認したかっただけなのだ。
もちろん、大なり小なり職場への不満は抱えつつ、多くの人は働いているのだろう。
それでも、多くの人が最低限仕事をこなしていれば私は職場を去ることはなかった。
ただ、残念ながら。
「嫌いな人には内線があったことを教えてあげない」
そんなことを役職付きの社員がやってしまうような職場だった。
◆
私は今年の四月から正社員となり、同時に担当するチームが変わった。
発足してまだ数年のチームで、部署内の悪い空気に汚染されておらず、とても働きやすかった。
十数名の派遣社員はほとんどが女性なので、そういった意味での大変さはあったものの、概ね居心地はよかった。
それだけに、チームに所属して半年。仕事を覚えて戦力になり始めて、これから、というタイミングでの退職になってしまうことが、心苦しかった。
会社、部署全体に対してはなんの未練もなかったし、負の感情が勝っていたので、
「これからも頑張ってください」
という表現はしたものの、
「ありがとうございました」
とは絶対に言わなかった。
社交辞令でも形式的な挨拶はしておくべきではないか――そんな考えもないではなかったが、そこで大人な対応ができないのが私という人間だ。
そう思うと、散々にこき下ろしたこの部署こそ、私にお似合いだったのかもしれない。
ただ、最後に所属したこのチームに多少なりともインパクトを与えてしまうことが申し訳なく、チーム内では「役に立てず申し訳なかった」と、何度も謝罪した。
◆
部署内への挨拶すら「仕方なく」やったのだ。
送別会なんてものはまっぴらだった。
同じチームのリーダーから送別会を持ちかけられたが、丁重にお断りした。
ただ、飲み会ではなく、チームのみんなで昼食に行くことを私から提案し、その場をささやかな送別の場としてもらった。
◆
数年前、部署に不信感をつのらせて辞めていった、優秀な若い社員の女の子がいた。
その子は、最終出社日を午前中だけ出社し、午後は半休をとって逃げるように辞めていった。
それ以降、少なくとも私の見る限りは、部署や会社に不満を持って辞めていく社員は、みんな最終出社日は午前中だけで去っていった。
だから私も最終出社日は午前中で帰ると決め、有給の残数を調整していた。
私は上司には「独立します!」というポジティブな内容しか伝えていない。
部署内にもやんわりと、そのように伝わっていただろう。
ただ、最終出社日の前日にわざわざ私の席まで声をかけに来てくれた人は、みんな一様に「察して」くれていた。
その人達は、私が投げ出すような部署でそれでも戦っている、良い意味で「大人な」社員さんたちばかりだ。
そんな人達に労ってもらえたのが嬉しかった。
◆
諸々の手続きや社員証の返却などを済ませオフィスを去る際、チームの全員がエレベーターホールまで送ってくれた。
上司に退職を伝えた際は、申し訳無さがありつつも、清々しい気持ちが勝っていたが、その瞬間はやはり「寂しい」の一言に尽きた。
別れ際に派遣社員の子がメッセージを添えてカップ焼きそばをくれた。
私が昼食にカップ焼きそばをよく食べていたからだろう。
送別会を断った際、花束などの贈り物も断ったのだが、
(私はそういうことを自分から言ってしまう人間だ)
これはありがたく頂戴した。
これほど嬉しいものはない。
外はどんよりとした天気で雨が降っていたが、とても晴れやかな気持ちだった。
もう一度、もらったカップ焼きそばに目を落とす。
ああ、雨が降っていてよかった。