おはようございます。
底辺ラノベ作家、略して「ていらの」です。
当ブログのトップメニューにはプロフィールというカテゴリがあります。メニューを作ったときにプロフィールの固定ページを作ろうと思ったのですが、はてなブログ無料版では固定ページを作ることができないことを知り、長らく放置していました。
さて、どうしようかと考え、結局プロフィールというカテゴリーを作ることで解決することにしました。
けっこう力技であまりスマートではないかもしれませんが、ただの自分語りだし別にいいかということで、今回は小学生の頃を思い出してみたいと思います。
もしかしたらラノベ作家になりたくて藁をも掴む思いで私のプロフィールをご覧いただいているかもしれませんが、はっきり言って学生時代にはあまり作家のルーツはありませんので、期待はずれかもしれません。
それでもよければご覧ください。
幼稚園
私は東北に長男として生まれました。当時の田舎ではまだけっこうあった、三世代が同居している家庭で、私の下には弟と妹がいます。
田舎と言ってものんのんびよりほどのド田舎というわけではなく、そこそこの田舎というった感じです。私の代では小学校は1学年2クラスありました。
父が婿養子でして、祖父母とはあまり仲が良くなかったと記憶しています。
両親は共働きでしたから、学校から帰れば家に居るのは祖父母です。私はお婆ちゃん子でした。
幼稚園という見出しを作りましたが、正直その頃の記憶はほぼありません。
もちろん幼稚園の場所や名前や、幼稚園から同じ小学校に進学した子の名前は思い出せますが、エピソードなどは全く。
問題児というわけではありませんでしたが、幼稚園でちょっかいを出してくる奴とはよく取っ組み合いのケンカをしていたと思います。陰湿なものではなくて、ケンカして、泣いて、仲直り、みたいな。
よくケンカする子との対戦成績?で負けが込んでいたとき、どうにか次の対戦では相手を先に泣かせてやりたいと思った私は、考えました。
「そうだ、いつもお母さんから泣かされている技を使えばいいんだ!」
次の対戦で私は、いつも母から怒られているときにやられていた往復ビンタを相手にお見舞いし、大泣きさせてやりました。
今ならきっと大問題です。
覚えているエピソードはこれくらいでしょうか。
小学校低学年
当時から背は無駄に高かったような気がします。
親からスポーツをやれと強制されることはありませんでしたが、サッカーのスポーツ少年団に少しだけ所属していたと記憶しています。
ただ、地元には野球や剣道を教えてくれる団体はあってもサッカーはなかったので、隣町まで通っていました。
かなり早い段階でボールへの恐怖がやわらいだ私は、サッカーの経験を活かし、体育の授業でやるドッジボールで、首から上は当たってもセーフというルールに目をつけ、自分に飛んでくるボールを全てヘディングで叩き落とすという反則スレスレの頭脳プレーを見せましたが、即日で顔面以外はアウトというルールが追加されました。そのサッカーも、日曜朝に始まったタルるートくんが見たいという理由で辞めました。
また、この頃からファミコンを買ってもらってゲームをやり始めます。
初めて買ってもらったソフトはよりによって伝説の迷作、コンボイの謎。
デーデーデデデデーン、ボーン!というBGMが脳内再生されましたね?
他にはマリオ、くにおくんシリーズ、ロックマンシリーズにお世話になりました。DQ3と4、FF3もやりましたが、ストーリーはそこまで深く理解してプレイしてなかったと思います。
ファミコンはすぐに買ってもらえたのですが、他のゲーム類はすぐに買ってもらえませんでした。親からしたらファミコンがあるでしょ!ということですね。
だから、ディスクシステムやツインファミコンを持ってる友達が羨ましくて仕方がなかった。
見かねた祖父母がゲームボーイは買ってくれるんですが、甘やかすなと両親と険悪な雰囲気になっていたのを覚えています。私にとってはブツが手に入ればどうでもよかったので対岸の火事でしたが。
ゲームボーイでは魔界塔士SaGa、SaGa2、SaGa3、聖剣伝説が印象的でした。中でもSaGa2は何周もするくらい遊んだ気がします。
小学校高学年
ゲームは大好きでしたが別に外で遊ぶのも好きだったので、普通に田舎の野山を駆け回ったり、稲刈り後の田んぼで野球をしたりもしました。
体を動かすのは好きな方だったのですが、この頃になると背が高いというアドバンテージだけではどうにもならなくなってきます。
毎日遠くから通学していたり、スポーツ少年団を長く続けている同級生には、運動会やマラソン大会では勝てなくなってきます。
スーファミはわりとすんなり買ってもらえた気がします。エニックスとスクウェアの全盛期でDQ5やロマサガを楽しんでました。その後、まさかこの2社がくっつくことになるとは……。
スーファミだけでも十分楽しいゲームライフを送っていたのですが、当時は他にもPCエンジンやメガドライブも存在し、PCエンジンDuoの天外魔境で登場人物が喋っているのを見たときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。
この頃になると、自分が持っていないものを持っているのを「いいなあ……」と思っても、欲しい!とまでは思いませんでした。わりとスーファミのゲームで満足できてたので。
キャラとしては元気な田舎のガキだったと思います。成績は全教科を平均すると4くらいじゃないでしょうか。図工と音楽が3で、体育とかが5だったと思います。
まとめ
ここまでどんな本を読んだ的な話は一切していませんが、敢えて伏せているのではなく、本当に読んでいないのです。
読書感想文を書くためだけに嫌々ながら読んでいるはずなのですが、どんな本を読んだのか何も思い出せません。
確か幼稚園の頃には将来なりたいものにパイロットと書いた気がしますが、なぜそう思ったのかは自分でもよくわかりません。
小学校高学年になって一時期、マンガ家になりたいと思ってイラストを書いていた期間がありましたが、前述の通り芸術分野に関してはセンスのようなものが欠けており、早々に断念しました。