ていらのは売れたい

底辺ラノベ作家の雑記ブログです

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【プロフィール】中学生時代 その1

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おはようございます。

底辺ラノベ作家、略して「ていらの」です。

 

今日は私の中学校時代を思い出してみようかと。

ダラダラ書いていくのでお暇な人はどうぞ。長いです。

小学校→中学校は全く同じメンバー

これが稀なケースなのかわかりませんが、私の学区は小学校から中学校に進学する際も、クラス替えがあるだけで全く同じメンバーでした。今はもう私の通っていた中学校は廃校になってしまい(取り壊されて跡形もありません)、中学からは他の学区と合わさった学校に通うことになってます。

私立という選択肢もなくはないですが、電車で一時間くらいのところにある、有名私大の付属校があるだけなので、めっちゃその大学に入りたいとか、スポーツで有望とかではない限り、公立の中学校に進学することになります。私の代には1人もいませんでした。

やったことないのに野球部

幼少期編でもお話しましたが、私はちょっとだけサッカーをやってました。

teiranox.hatenablog.com

ただ、私が通うことになる中学校にはサッカー部がないんですね。市内にある中学校でサッカー部が存在しないのって、私が通っていた学校だけだったんじゃないでしょうか。

小学校高学年あたりから仲良くしていた友達はみんな野球のスポーツ少年団に所属していたので、一緒に遊ぶときなんかもキャッチボールとかになるわけです。

私は基本的に体を動かすのは好きだったので、ルールとかよくわかんないけど野球部に入ろうと思ってました。

今思えば、背だけは高かったので、バスケ部という選択肢もあっただろうに、当時の私は頭を坊主にしてでも野球部に入るのでした。

では野球に対して上手くなってやる!という情熱のようなものがあったかと言えば、別にそうでもありませんでした。

今思えば、ここで少し選択を間違ったような気がします。

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みんなと同じスパイクを買わなかったせい?で、浮いた存在に

バスケ部はバッシュがあれば練習も試合もなんとかなりますが、野球部は色々とお金がかかります。野球が世界中に普及しない原因の一つですね。

帽子、練習着上下、アンダーシャツ、ソックス、タイツ、スパイク、グローブ、バット……さすがに細かい値段までは覚えてませんが、2万円では足りないですね。

1年生には入部時に紙が配られて、そのリストに記載されている用具にチェックを入れることで、学校と癒着提携しているスポーツ用品店から、多少安く装備が買えるのですね。

さすがにバットやグローブは各自で用意するのでリストにはないのですが、スパイクはあるわけです。ミズノのやつです。

私はグローブはローリングス(当時はアシックスとライセンス)のものを買ったので、スパイクもローリングスがいいなあと思って、スポーツ店で自前で用意しました。別に高いやつじゃないですよ?むしろ安物です。

でも、これがよくなかった。

中学校で野球部に入る生徒は、ほとんどが小学校からの経験者です。私の代で中学校から野球を始めた生徒は私を含め2人だけでした。

もう1人の初心者くんはスパイクも提携業者から買っていましたが、初心者の私が自前でスパイクを用意したことで、どうやら「あいつなんなん?」という空気になったようでした。今思えばなんだそりゃ?ですが。

これは他の同級生部員にちゃんと確認したわけではありませんが、明らかに私を無視するような空気があったのですね。

後にグレるDQN同級生は私を目の敵にしていたのでそいつが中心となってそういう空気を作り出していたのかもしれません。DQN野郎に限ってスポーツができたりするんですよねえ。

今になって冷静に、「スパイクではなくて、私にも何か問題があったのだろうか」、と考えてみたのですが、やはり理由が思い当たりません。

当時は今以上に自由奔放だったので、そのあたりをウザがられていたのかもしれません。

ただ、後にグレる同級生が野球部にもう1人いて、そいつは私と小学校のときから仲が良かったので、多少肩身は狭くなったものの、居場所がなくなるとかいじめられるとかそういったことはありませんでした。

きっと今なら大問題

2年になって、顧問の先生兼監督が変わりました。1年生のときの先生はけっこう放任だったのですが、新しい先生は野球をきっちりわかっている人で、すぐ手を出す人でした。

厳しい先生で数学が担当だったのですが、授業はわかりやすくて好きでした。ただ、部活中はこいついなくならないかなとずっと思ってました。

ノックでエラーをしようものなら、手からグローブを取り上げられ、それで顔をはたかれます。私はそこまでやられませんでしたが、軽く蹴られるなんてことはしょっちゅうでしたね。

ほんと、なんなんですかね。

当時は「おっかないなあ、ちゃんとやんないと暴力ふるわれる」と、その状況を疑問に思うことはありませんでした。

殴られるのは嫌だ→練習しよう→野球上手くなる

という流れになればいいですけど、そうはなりませんよね。野球、辞めますよね(笑)

暴力振るう方も、思い通りにいかなくて、八つ当たりしてるだけですよね?

もちろん鉄拳制裁が必要な場面もなくはないでしょうが、中学校の部活動ですからねえ。しかも暴力振るうのは学校の先生ですからね。教師が大変なのはわかるけど、生徒殴ってストレス発散すんなし(笑)

ときメモがやりたくて新聞配達

確か中2の夏くらいだったと思うんですけど、同じクラスの友達が新聞配達をやってたんですよ。詳しい経緯は忘れてしまったんですが、ほんと、バイト感覚でやってたみたいでした。少なくとも家が貧乏で……とかではないはず。

で、その友達が新聞配達をやめるって言うんで、当時、ときメモがやりたくてたまらなかった私は、友達から引き継ぐ形で新聞配達を始めました。確か、ちゃんと学校にも許可をとってたと思います。

朝、5時とかになると、公民館前の雨のあたらないところに私が担当する区画の新聞が束になって置いてあるんですね。特定の新聞だけ配ればいいというわけではありませんでした。区画単位なので、地図と、どの家がどの新聞をとっているかがわかるように記された地図を渡されて、それに沿って配るだけです。田舎なので大した量はありません。1時間もあれば配り終わります。

8割が地元紙で、残りは全国紙という感じですね。ちなみにウチの実家は読売だったと思います。

いやあ、新聞配達して、学校行って、部活して……なんて生活をよくできたと、今考えただけでもゾッとします。朝は弱いので、いつも婆ちゃんに起こしてもらってました。

新聞配達で月にいくらもらってたかは全く記憶がありません。ただ、数ヶ月やってプレステ&ときメモ代を稼いで、雪が降り出す前にはもう辞めてた気がします。

 

 

長くなってきたので、続きます。

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